生活を変えた食べ物たち

晶文社
シャーロット・F・ジョーンズ 文 / ジョン・オブライエン 絵
左京久代 訳
2000年7月5日発行 B5判変型・96頁 本体1,900円+税

















アイルランドとジャガイモの関係のような、
歴史に残る食物や農作物の話かと思ったら、
食べ物(素材も料理も含む)のネーミングの由来が
主題であった。

サンドウィッチあたりは日本でも、由来がかなり
有名なほうの料理だろう。
ホットドッグの由来は、最近有名な某テレビ番組で
紹介されたと聞く。

日本の料理だって名前の由来を聞けば、ほうと唸ったり
思わず笑わされたり、田舎へ行けば行くほど
そういうことが増えるが、海外も事情は同じようだ。

話が飛ぶようだが、むかし銀河鉄道999というアニメ映画の
ビデオテープが我が家にあって、繰り返し見た。
作中に出てくる機械人間は、脳以外の身体器官を
名前の通り機械に変えてしまい、食事は必要なく
たまにカプセル状のエネルギー源を摂取すればよかった。

子供心には便利さを肯定的に感じる気持ちもあったが、
いまにして思うのは、食べることは人間と切っても切れない、
ということである。

手軽に便利に栄養補給という考えが、
商品としては少数存在していても、
それだけあればよいことにならないのは、
食事という「行為」が人間にとって大事なプロセスで、
単なる栄養補給の作業ではないからだ。

どんなふうにその調理法を発見したか、
誰が編み出したのか、とか、誰と食べたか、とか
もともとはどういう材料を使っていたか、とか、
事件や出来事があって、そこに愛着があればこそ、
料理にも食材にも、由来をともなった名前が付く。

人間が人間であるかぎり、未来永劫に
食事はなくならない。便利でありさえすればよい、とは
なり得ないのだ。

本書にも、章ごとにコラムがあるが、そのなかの
食べ物を取り締まるバカバカしい法律、というのが、
最初は笑ったがいろいろ考えさせられた。
どういう経緯や出来事、思いがあってそんな法ができたか、
想像し始めるとけっこう深いのである。